奥州平泉観光新聞

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G第5番青谷観音 岩かげにおわす古仏
2019/10/27

▲青谷観音堂へ行くには広瀬川にせり出した岩壁を削ってつくった狭い道を通らなければならない。川面が接近し迫力満点だ

 江刺札所中で有数の景観にあるのが第5番の青谷観音です。どんな景色の場所なのか期待に胸をふくらませながら、案内役のえさし郷土文化館の野坂晃平さんと地域文化研究家の千葉周秋(かねあき)さんと一緒に、広瀬へと車を走らせました。
 前回の伊豆堂観音からは国道456号を口内方面へ向かい、市立広瀬小学校前で県道287号(口内伊手線)を右折。広瀬地区センター下を県道に沿って左折し伊手方面へ行く途中に、青谷観音があります。途中には藩主お手植えの「広瀬松」や第25番札所の南ノ宮観音堂などもあります。
 青谷観音は旧軽石村にあり現在、正式には「音石神社」といいます。大きく蛇行して流れる広瀬川へせり出した岩壁の前に入り口の鳥居があります。「や、お堂が見えませんね」と驚くと、野坂さんは「びっくりするのはまだ早いですよ。お堂までの道が面白いんです」と目を細めました。
 3人で鳥居をくぐり、岩壁の脇を削って開いた幅40―50センチほどの狭い道を頭を下げながら進みます。横にはすぐ広瀬川が迫り、迫力十分です。「ここに、はっきりとは残っていませんが、道を開削した人の名前などが刻まれています」と野坂さんが岩肌の一部を指さしますが、こちらはゆっくりと見る余裕がありません。
 やっとくぐり抜けて振り返り、岩の大きさを改めて目の当たりにしますと、千葉さんが「この岩壁も神が宿る盤坐(いわくら)だね。それにしてもこつこつと岩を削って参道を造るとは、まさに信仰心の表れだね」と感心していました。
 岩壁を抜けた先に大きな観音堂が現れました。そこには別当の菊池先男さんがすでにいらっしゃっていました。野坂さんが連絡し、お堂を開けていただいていたのです。菊池さんは堂内に大きな位牌(いはい)と、これまた大きな幕を出してくれていました。説明によると、江戸中期の享保年間に3代藩主・伊達綱宗が亡くなり、藩からその供養を青谷寺(当時の青谷観音)に依頼され、その任を見事に果たしたお礼に奉納されたそうです。
 麻地の大きな幕には「竹に雀(すずめ)」の伊達家の家紋が大きく描かれています。千葉さんは「丁寧な筆の運びで描かれている。雰囲気がとてもいいね」と絶賛。野坂さんが「青谷寺では供養以降、伊達家の竹に雀と三つ引の家紋を使うことが許されたそうです」と付け加えました。
 さらに菊池さんはお堂の内陣の格子戸を外し、室町時代の作とされる本尊の聖観音像や十王像などの仏像を特別に見せてくれました。いずれも1本の木から彫られた素朴で味わいのある像です。
 「うわぁ、すごい!素晴らしい仏さまたちだ。いわゆる中央の仏師の作ではなく、地方の仏師か僧たちが彫ったものだろうが、その表情に作者の人柄や祈りの気持ちが表れているようだ」と千葉さんは、感嘆しきりです。「見る角度によって表情も変わり、御利益ありそうですね」と言うと、野坂さんは「藩主の供養を頼まれるほどのお墨付きですから」と笑顔をみせました。

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