奥州平泉観光新聞
  • ホーム
  • 平泉世界遺産登録を目指して

平泉世界遺産登録を目指して

1.柳之御所の発見

 発端は88(昭和63)年の柳之御所遺跡の発見だった。6年間の一関遊水地事業・国道4号バイパス工事に伴う発掘調査で、広大な12世紀後半(藤原秀衡の統治時期)の遺構群と、膨大な量の遺物が検出されたのだ。
 調査が進み、鎌倉幕府の史書『吾妻鏡(あづまかがみ)』に記された平泉の政庁「平泉館(ひらいずみのたち)」の可能性が高まると、地域住民を中心に遺跡保存を求める運動が始まった。
 結果、建設省(現・国土交通省)は北上川治水や一関遊水地事業も考慮した上で、バイパスのルートを変更するという大英断を下した。その後97(平成9)年に国史跡指定。現在に至るまで発掘調査が続いている。
 柳之御所遺跡の発見と保存整備の動き、平泉に遺されてきた文化財──文化庁を中心とする政府機関は、古代東北の中心であった平泉を世界遺産候補に、と強く考えるようになった。それは地元や県からの要請だけではなく、東北地方に世界遺産における「文化遺産がない」(自然遺産はすでに白神山地が指定されていた)などの諸要因が重なった結果だった。

2.暫定リストに登載

 平泉は国の推薦を受けて01年4月、「世界遺産暫定リスト」にその名が登載された。遺産登録は国策に準ずるものだけに、失敗は許されない。同リスト登載は、必ず10年以内に登録条件を整備終了させる覚悟の表れとされる。言い換えれば、一般的にリスト登載後10年を経過した候補は、本推薦に至らない可能性が非常に大きいのだ。ちなみに専門家の間では、この理由から「鎌倉(92年登載)」「彦根城(同)」の世界遺産登録はないと見る意見が多い。
 世界遺産が世に広まり登録物件が増加すると、その内容も高度になった。現在では1国のうちに同様の文化財の遺産登録は認められず、単体ではなく一つのテーマの下に複数の文化財を登録する傾向にある。
 文化庁、県などの担当者は柳之御所遺跡、中尊寺、毛越寺など平泉中心の史跡、文化財を候補のメーンに決定。さらに03年、登録認定の傾向とより大きな価値のある遺産とするために、「平泉の基盤」に関する文化財など6カ所を候補に追加させ、遺産に幅を持たせる方針に変更した。

3.候補物件の強化

 そこで選ばれたのが骨寺村荘園遺跡、白鳥舘遺跡と長者ケ原廃寺跡であった。骨寺は中尊寺を経済的に支えた荘園跡として、白鳥舘と長者ケ原は奥州藤原氏の基礎を造った安倍氏・清原氏の「前平泉文化」の史跡としての価値が認められた。
 一連の候補地追加の背景には、世界の名だたる遺産と比較した場合の「インパクトの弱さ」があったとされる。また、世界遺産を通じての地域の連携強化も目的だったという。
 登録の必須条件は、国史跡指定と遺跡周辺の環境条例による保護体制の整備。奥州市の2遺跡でも、国史跡指定のための調査、地権者への説明会などが急ピッチで進められた。
 05年5月の文化審議会での国指定史跡を認める答申をへて、同7月の官報告示により国史跡指定が正式に決まった。それは担当者の思いだけでなく、地域住民の理解が結実したときだった。

4.世界標準を見よ

 06年6月、一関市内のホテルを会場に「平泉の文化遺産の顕著な普遍的価値と保存管理に関する国際専門家会議」(文化庁、岩手県、奥州市、一関市、平泉町主催)が行われた。遺産候補物件を調査するユネスコの世界遺産諮問機関ICOMOS(イコモス、国際記念物遺跡会議)委員や海外研究者などを招き、「登録決定とするには何が必要か」という意見を聴く貴重な機会となった。主催者側は「推薦書作成やイコモス調査への最終調整に向けて大切なステップ」と位置づけていた。推薦書は07年初頭が提出期限であり、提出後の内容変更は許されない。加えて07年秋のイコモス調査前後に、海外関係者に具体的意見を聴くことは難しくなるからだった。
 主な出席者は▽イコモスオランダ委員ロバート・デ・ヨング氏▽同韓国委員ファン・キーウォン氏▽同中国委員タン・ジーゲン氏▽同日本委員西村幸夫氏▽同稲葉信子氏──など専門家14人をはじめとする関係者60人だった。主な候補物件の視察、ミーティングなどが4日間にわたって実施された。平泉関係者は「登録のための世界標準を得よう」と必死だった。

 
1 / 2


 

平泉町へのアクセス
平泉町へのアクセス English Korean Chinese 奥州平泉の天気情報
奥州平泉グルメ情報
奥州平泉観光情報
奥州平泉宿泊情報
奥州平泉土産情報

ダイジェスト版の閲覧はこちら 携帯版HPはこちら!
最新NewsIndex

特集記事Index





岩手県広域情報